ものがたりたがり

戯れに書いた短編小説などなど。

ツルトンタン

 拝啓。

 一つだけ教えて下さい。困っているのです。

 私はことし三十三歳です。十年勤めた神田の出版社を辞めて、この夏から六本木の広告会社で働きはじめました。広告会社と申しましてもやっていることは色々で、健康食品も売りますし化粧品も売りますし、占い師も数人所属しております。要するに何でも屋のような、後ろ指をさされるほどではないけれど若干怪しいところのある会社でありまして、私はそこの企画セクションで紙媒体の編集をやっております。守秘義務もありますので詳しくは申せませんけれど、あなたが連載していらっしゃるフリーペーパーの仕事にも少し関わっております。

 あなたが書かれた小説をはじめて読んだのは、転職する半年ほど前でした。「コイのヤマイ」という小説でした。郵便局員の哀れな恋のお話で、私なぞにはちょっと難しくも感じられたのですけど、その小説のヒロインが花江といって、私と同じ名前なのでした。今時ずいぶん古くさい名前で私はこんな名前をつけた親を憎らしく思っていたのですけれど、あなたの小説を読んで、少しだけ自信を持てたのです。これまでまともな恋をしてこなかった私が、物語のなかとはいえ郵便局員に真実愛されたのですから。

 それ以来あなたの作品を探して読む癖がつきまして、いろいろ読んでいるうちにあなたが私と同じ埼玉の中学の出身であることを知って、胸がつぶれるような思いをいたしました。私の担任だった出口先生の名前をあなたの短編のなかに見つけたとき、とたんに私は少女時代の私にもどって、はずかしい初恋のあの瞬間を思い出したものでした。

 中学校に問い合わせて、出口先生にあなたとの仲を取り持ってもらおうかとも考えましたが、小心者ですから、空想するだけで終わりました。せめてファンレターで思いを告げようと、何度も筆を取りましたけれどどうしても拝啓のあとを書き進めることができず、そのたびに途方に暮れたり、ひとりで当惑したり、白々しい気持になったりしたものです。けれど今回は違います。目的がございますから。火急の用件です。何としてもあなたに答えていただきたく、このように長ったらしい手紙を書いているのです。

 教えていただきたいことがあるのです。本当に困っているのです。しかもこれは、私ひとりの問題ではなく、他にもこれと似たような思いで悩んでいる人があるような気がしますから、私たちのために教えて下さい。

 転職したことは先に書いた通りですが、六本木という場所柄か会社にはずいぶんきれいで華やかな女性が多くて、私のような地味で暗い女はどうにも気後れがしてしまって、生来の引っ込み思案もあってなかなか職場になじめなかったのです。仕事をしている間は気もまぎれますし時間が早く過ぎて行くのですけれど、問題は昼食時です。先生もよくご存知のとおり、女というのはトイレに行くにもコンビニに行くにも連れ立って歩かなければ気が済まないもので、当然お昼ご飯を食べに行くにも、部署の女性たちは一斉に立ち上がってヒールをつかつかと鳴らしながらやれブランドがどうしたやれ化粧品がどうしたと毎度同じ話をしながら社員食堂へと向かうのです。日頃ダイエットがどうしたと大騒ぎをしているにもかかわらず、我先にと食堂へ向かうのです。

 そうです、こんな私も彼女たちに誘われたのです。コピーを取りに行こうと席を立ったら彼女たちも同じタイミングで立ち上がってしまって、しかもそのなかのリーダー的女性と目が合ってしまって、一瞬の間の後で「佐藤さんも行きます?」と聞かれてしまって(封筒に記しているのでもうご存知だと思いますが、私の名字は佐藤といいます。あなたの最新作「片田舎のディレッタント」の主人公と同じです)。

 そうなったらもう蛇ににらまれた蛙のようなもので、私は赤べこのように不自然にうなずいてしまい、彼女たちの後をひょこひょこと付いていったのです。向こうは向こうで、まさか付いてくるなんて思わなかったんじゃないでしょうか。それほど私と彼女たちの間には、どこぞの海溝のように深い溝が横たわっていたのです。

 歩き方からして違うのです。彼女たちは背筋をぴんと伸ばして胸を張って、自信満々に歩いています。けれど私は、猫背なうえに目立たないよう忍び歩きなものですからまるで泥棒みたいで、情けないことこのうえないのです。それなのにいつの間にか私は彼女たちの歩き方を意識していて、歩調だけはぴったり合ってしまって、それもまた浅はかで惨めったらしい気がいたしました。

 社員食堂へ行くのはそのときが初めてでした。食堂というよりカフェテリアとでもいったほうがしっくり来る、おしゃれな場所でした。女性たちは「こんなに食べられるかしら」「残しちゃうかも」とおしゃべりしつつ、見るからにかわいらしい日替わりワンプレートを頼んでいました。女性らしさを誇示するためだけに存在するような量の少ないメニューで、大変だなあと私は他人事のように思ってしまうのです。ちなみに私は明太子のパスタにいたしました。我ながら、無難でつまらない選択だと思います。そうして箸やフォークを持つ手をよくよく見れば、爪が短いのは私だけです。こんなところにも女性としての差があらわになっていて、ひどく情けない気持になりました。

 さて食事中にどんな話をするのかと戦々恐々としていたのですが、恐れていた恋愛話などは始まらず、彼女たちが口にしたのはツルトンタンという聞き慣れぬ言葉でした。

 同じ職場に鶴田さんというちょっと雰囲気のいい男性がいるので、最初はてっきりその人のことを話題にしているのだと思いました。冗談まじりに「鶴田たん」と言っているのだと思ったのです。あるいはジャンボ鶴田の本名のことかもしれません。しかし誰の口からも、出てくる言葉は同じでツルトンタン。意地悪かと思いました。私の知らない暗号のような言葉を使って、話に付いていけない私をみんなで笑おうとしているのではないかと思ったのです。

 そんなとき、たまたま近くを通った佐伯部長が、「なんだツルトンタンの話をしているのか」と首を突っ込んで来たのです。あからさまに女性たちは迷惑そうな顔をしていて、佐伯部長は追い立てられた羊のように別のテーブルについたのですが、部長はそのテーブルの男性たちに「なあなあ、ツルトンタンが……」と始めたのです。

 なるほどみんなが知っている言葉らしい。私だけが知らない言葉らしい。しかしこんなことってあるでしょうか? ズンドコベロンチョじゃあるまいし、どうにも不自然だと思ったのです。そこで私は適当にあいづちを打ちながら、ツルトンタンの意味を探ろうとしたのです。

「行ってみたい」「今度一緒に行こうよ」というやり取りから察するに、ツルトンタンは場所のことだと考えて間違いないでしょう。次いで彼女たちが発したのは、「サンタマムミョウ」というこれまた呪文めいた言葉でした。

「サンタマ」は「三多摩」のことでしょうか。武州三多摩といえば言わずと知れた、新撰組ゆかりの地です。となると「ムミョウ」は「無明」、沖田総司の三段突きの別名である無明剣のことに相違ありません。何ということはない、彼女たちは今はやりの歴女なのでしょう。沖田総司のファンなのでしょう。少しミーハーな気がしなくもないですが、私も昨今の刀剣ブームにしっかり乗った身ですので、ちょっとだけ距離が縮んだような気がいたしました。ツルトンタンは私の聞き間違いで、似たような名前の隊士がいたのかもしれません。

 正面の女性が、うっとりした表情で「腰がすごいの」と言いました。お昼時に、しかもこんな場所でなんてことを言うのかと驚いてしまいましたが、これもどうやらツルトンタンの話の続きのようで、「腰が強いらしいわねー」と別の女性も同意しています。剣道では「腰を入れる」「腰で打つ」などと言いますから、きっと剣術も同じなのでしょう。刀剣女子の血が騒いでまいりました。

 しかしここから、話は不可解な方向へ転じるのです。彼女たちは口々に、「おいどん」「おいどん」と言ってくすくす笑っているのです。「おいどん」といえば薩摩隼人ではありませんか。確かに当初薩摩と会津は親しかったはずですが、鳥羽伏見の戦いを思えば薩摩は新撰組の憎き敵。「おいどんだなんて上品よねー」なんて笑っていますけど、薩摩のどこが上品ですか。芋侍はつけ揚げでも食べてりゃいいんです。

 そうしてそれから、彼女たちは口をそろえて「めんたいくりいむのおいどん」と言い始めました。さすがに私も何がなんだか分からず、「そうですね、えへへ」とイエスかノーかよく分からないような相づちをうつことしかできませんでした。

 それ以来、職場のあちこちからツルトンタンと聞こえてくるようになり、街中を歩いていてもどこからかツルトンタンと聞こえてきて、そのたびに私は反射的に追従笑いをしてしまうのです。この頃ではいよいよ頻繁にツルトンタンが聞こえ、牛乳飲んでもツルトンタン、判子を押してもツルトンタン、セザンヌを見てもツルトンタン、あなたの小説を読もうとしてもツルトンタン。光琳の燕子花のように、ツルトンタンが列をなしてやってくるのです。

 教えて下さい。この言葉は何でしょう。この言葉から逃れるにはどうしたらいいのでしょう。私はこの手紙を半分も書かぬうちから、ツルトンタンツルトンタンと盛んに聞こえているのです。そもそも私が転職したのだって、あなたのせいなんです。「死んでも、人のおもちゃになるな!」とあなたが短編に書いてらっしゃったから、私はずっと不義を働いていた前職の社長と別れて、勇気を出して新しい環境に飛び込んだのです。責任とって下さい。ツルトンタンの意味を教えて下さい。次の小説のタイトルがツルトンタンなんでしょう? 私には分かってるんです。「コイのヤマイ」の主人公が花江という名前だったのも、「片田舎のディレッタント」の主人公が佐藤という名前だったのも、この私をモデルにしていたからなんでしょう? 答えて下さい。お返事下さい。敬具。

 

 

 

 この奇異なる手紙を受け取った某作家は、むざんにも無学無思想な男であったが、次のごとき返答を与えた。

 

 埼玉県民なら山田に行くべきです。あそこは安くて量も多い。