ものがたりたがり

戯れに書いた短編小説などなど。

葬送

 空港に降り立ったとき、彼は思わず口を覆い、目を細めた。

 黄砂が街を覆っていた。まともに息を吸えば肺のなかまで冒されそうな気がして、彼はハンカチで口元を隠して呼吸を浅くした。煙のなかに立っているような気分だった。

 こんなところで人は暮らしていけるものなのかと思ったが、地元のポーターやタクシーの運転手はマスクをするでもなく、普通に会話を交わしている。人間はどんな環境でも順応できるのだということを思い知らされた。

 タクシーの後部座席に座ると、空気が濁っているせいなのか窓が汚れているせいなのか、まったく前が見えないことに不安が募った。しかし運転手は慌てる素振りも見せない。自分には見えない景色が、この運転手には見えているのだろう。やや荒い運転だったが、タクシーは事もなく走り出した。

「ひどい黄砂だな。あっという間に体中が砂だらけだ」
 どうせ言葉が通じる訳がないと高をくくってつぶやいたのだが、運転手はさも納得げにうなずいて、窓の向こうを指差した。

 子どもたちが走り回っていた。歓声を上げて、棒切れを振り回している。家の軒先で、親の帰りを待っているのか所在なくたたずんでいる子どももいる。いずれもみすぼらしい身なりをしていたが、屈託のない笑顔がなんだか悲しく思えた。そう感じることは果たして驕りなのだろうかと自問した。

 


「私が死んだら、海の見える丘で遺骨を撒いてほしい」


 病床で妻が告げたのがこの街だった。妻の生まれ故郷だった。生きているかは分らないが、両親と2人の弟が住んでいるはずだと言っていた。

 運転手には印をつけた地図を渡してある。どうせ正しい道を進んでいるかなど分らない、彼は気にせず目を閉じた。

 火葬場で拾った妻の遺骨は黄色味を帯びていた。長期にわたる投薬のせいだった。あんなに純な女だったのに。一緒に出かけるときは必ず白い服を着ていたのに。ままならなかった半生を恥じて、せめてこれからは清らかに生きたいと願っていたのに。最後に残った骨が黄色かったのが、切なくてやりきれなかった。

 旅の疲れで眠りに落ちていたらしい。運転手が呼ぶ声で目を覚ますと、目的の場所についていた。30分ほどで戻るから待っていてくれと身振り手振りで伝えて行きの代金とチップを渡すと、運転手は満面の笑みを浮かべて「オーケーオーケー」と繰り返した。しかし彼が外に出ると、何事もなかったように車を走らせてしまった。トランクにはスーツケースを入れたままだ。追いかけようとしたがもう遅い。貴重品は身につけているし、一番大切なものは手元のカバンに入れてある。どうせ盗まれて困るものなどないのだと、彼はあきらめて丘の向こうに視線を移した。

「こんな寂しいところで……」
 思わず口にしていた。黄砂にさらされた丘は花一本生えていなかった。芝生も無惨にしおれていた。都市部に比べれば多少見晴らしはいいものの、ここもやはり、黄色い空気が視界を濁らせていた。

 カバンから遺骨を入れたケースを取り出し、近くにあったベンチに座った。積もった砂を払おうかとも思ったが、どうせ砂にまみれるのだからとやめておいた。

「一緒にあの丘で、夕陽を見たかった」と妻は言っていた。ここまで黄砂がひどいとは、妻も思わなかったのだろう。遺骨のケースを隣に置いて、彼はまた目を閉じた。

 思い出に浸るには、ともに過ごした時間が短すぎた。もっと話をすればよかった。もっと優しくすればよかった。まっすぐ妻を見てやればよかった。頭に浮かぶのは後悔ばかりだった。

 また、うとうとしていたらしい。目を覚ますと今まさに、陽が沈むところだった。黄色の空気に、金色の陽が広がっていく。あんなに汚いと思っていたものが、この一時だけ神々しく光を宿している。彼の前に影はなく、ただ光があるばかりだった。

 ターナーの「レグルス」を思い出した。このまま目がつぶれてもいいと思った。炎のような光だった。

 金色のなかを、白い鳥が飛んでいく。それと入れ替わるようにセスナが尾を引いて飛んでいく。彼は立ち上がり、眼下の海に向かって遺骨をばらまいた。足もとから吹き上げた風が、黄色い灰をさらっていった。妻が残していったものは、黄砂と混じり、金色の光に溶け込んでいった。

思い川 [補記]

永井荷風の「すみだ川」をベースにした短編小説です。

思い川は本来「思川」と書きますが、

なんとなくこれだと情緒に乏しい感じがして「い」を追加した次第です。

作中に出てくる「泪橋」も実在した地名で、

近くに刑場があったことから、罪人とその家族や思い人にとって

今生の別れの場であったそうです。

現在は「泪橋交差点」として地名のみが残っています。

 

「思い川」も「泪橋」も書き始めた当初はまったく知らなかった地名なんですが、

あれこれ調べながら書き進めるうちに自然と舞台として整っていきました。

予定外に物語が広がって、

それがひとつところに収束していくのも創作の歓びのひとつだと思います。

 

文体については、宮本輝の「幻の光」という短編を意識しています。

語りの小説が書きたくて挑戦してみたんですが、

実際に書いてみて輝さんの凄さにあらためて気づかされるという……。

長吉とお糸の出身地が大阪になってしまったのも、

たぶん輝さんの影響でしょう(笑)

 

 

すみだ川・新橋夜話 他一篇 (岩波文庫)

すみだ川・新橋夜話 他一篇 (岩波文庫)

 

 

幻の光 (新潮文庫)

幻の光 (新潮文庫)

 

 

思い川

 四月の半ばの夕暮れどき、墨田川の堤は人もまばらではぐれる心配なんてなかったけど、あんたは黙って私の手を引っ張ってくれました。そうなることを察して左側を歩いていた自分が、少し浅ましく思えました。指輪を外す度胸もないくせに、こうしてあんたの隣を歩いてる。あんたはすねたような表情で、顔を覗き込むと慌てて目をそらして、不器用なところは前と何も変わらなかった。誰も気づかんから心配するなと言ってくれたけど、そんな言葉がすっと出てしまうことが寂しくて仕方ありませんでした。

 頼りなく手をつないだ私たちの後ろ姿は、きっと幼い兄妹みたいだったと思います。近所の板塀や土蔵の壁に、長吉お糸と相合い傘をかかれて囃されたあの頃のまま。どこへ行けばいいのかも分からないままに、いたずらに歳を重ねてしまった。見かけばかり大人になって、中身は純なままにここまで来てしまったから、どこか惚けたような、幼い顔をしていたのかもしれません。

「知らん間に、橋ができてるなぁ」

 川の対岸まで伸びた木橋を見て、あんたはつぶやきました。そうか、あんたは橋場の渡しを小舟が行き来していた頃のことしか知らないのだ。洪水があったことも、大火があったことも知らないのだ。そのことがひどく悲しく思われました。

 白鬚橋と名付けられたその木橋をぼんやり見つめながら、あんたは「業平も、こんな橋があったらさっさと渡っていたかも分からんな」と言いました。見下ろした先には桜の花びらが身を寄せあって、風に吹かれて水面を揺れてました。釣りの小舟がわざわざ花筏を割くように、岸にとまろうとしてました。

「業平は都が恋しゅうてな、ここで立ち止まって歌を詠んだらしいよ」

 こういう話をするのが面映いのか、はにかんだ表情に夕陽があたって、まぶしさに目を細めて、あんたはどこか遠くを見るような目をしていました。失ってしまった時間を必死に追いかけようとしていたのかもしれない。取り戻したところで先はもうないというのに、あんたは懸命に私との距離を縮めようとしてくれているみたいでした。

 東の空にはあるかないか分からないような繊月がかかってました。三日月にも足りんような月は糸月言うてな、あれはお糸ちゃんの月なんやでと、昔あんたが聞かせてくれたことを思い出しました。白く細いその月は、震えているように見えました。

「会えてよかったよ」

 あんたがそう言ったとき、私は何やら体の奥のほうがかぁっと燃え上がるような気がして、うつむいたまま何も言い返せなかった。嬉しかったのに、それをおもてに出せなかった。ただただ悲しくて、つないだ手をぎゅっと握りしめることしかできませんでした。きっとあんたは、それだけで分かってくれたのだと思います。私だって会いたかった。ずっとあんたを待ってたんです。

「桜、散ってもうたなぁ」

 立ち止まってつぶやいたあんたの頬に、葉末の影がちらちらと重なって、なんだかひどく切なかった。相変わらず猫背で、痩せっぽちで、この世の不幸のすべてを背負ったような顔して。目を離したら消えてしまいそうな気がしてなりませんでした。

 

 あんたとはじめて喧嘩したのも、葉桜の季節でした。まだ四月だというのに、夏みたいな陽気だった。日盛りのしたで私たちは並んで立って、西横堀川をポンポン船が流れてくのを見てました。あんたのあご先から汗が滴り落ちて、川面に吸い込まれていったのを、なぜだかはっきりと覚えてます。あんなふうにあんたの顔をじっと見たのも、きっとそのときがはじめてでした。

「なんで東京なんかに行くんや」

「またそないなこと聞くん。私かて……」

 何度もそんなやり取りを繰り返したのを、今では懐かしく思い出します。

 小さい頃から、私は芸者になることが決まってました。母親が針仕事をおさめてるご新造さんが、私のことをえらく気に入ってくれて、ぜひ娘分にしてゆくゆくは芸者に仕立てたいと言ってくれてたんです。でもそのときは父親も生きていて、うちもそれほど貧乏はしてなかったから、我が子かわいさの情もあって家を出されることもなく、親元にとどまって芸を習うくらいの間柄でした。

 あんたもお母様が常磐津のお師匠だったから、見よう見まねで三味線弾いて、小稲半兵衛の道行きなど語ったりして、一緒に遊んだこともありました。あのころは、芸者になるにしても大阪から離れるなんて夢にも思わなかった。ずっと変わらず、あんたのそばにいるもんだと思ってたんです。

 天王寺の博覧会が近づいていて、町中が色めきだってました。息切れしそうなくらいに町は変わり始めてた。誰もが訳も分からぬままに、駆け足してたんだと思います。父親がトラックに轢かれたのは、そんな師走のことでした。なにか巨大なもののうねりに巻き込まれるように、父親はあっけなく逝ってしまいました。

 貧乏は苦でも何でもなかった。母親は針仕事だけじゃ生きていかれないと嘆いていたけど、そんなら私がさっさと芸者になって、稼げばいいだけの話なのだから。引っかかっていたのは、残された親戚たちとの関係でした。父親を轢いたトラックは、博覧会の工事にかかわっていたらしくて、そんなら慰謝料ふんだくってしまえとそそのかす親戚も多かった。普段は顔も合わさないくせに、こういうときだけ親切ぶって首を突っ込むんです。母親はもちろんそんなことをするつもりはなくて、そしたら慰謝料を独り占めしてるんじゃないかだの、難癖つける人もいて。

 母親はほとほと疲れ果ててしまって、もうこの街で暮らして行くのにうんざりしてました。そんな折、私を芸者に仕立てたいと見込んでくれたご新造さんが、橋場の煎餅屋を紹介してくれたんです。店主が夫婦ともども高齢で、引退したいが後を継ぐ者もないし、かといって店を畳むのもやるせない。しばらくは自分たちが面倒見るから素人でもかまわない、辛抱強くて正直な人はいないものか……。

 橋場にはご新造さんの実家があって、そこは名の知れた芸者家でした。それならいっそ、お前もそこで葭町の芸者になればいい。そんなふうな義理や好意が重なり合って、私は大阪を出ることになったんです。

 お金のためだとか、そんな理由だったら私はきっと反対してたと思う。あんたと離れたくはなかったし、大阪のあの町が好きだったから。湿っぽくて、薄暗くて、じっとしてたら沈んでしまいそうな町だったけど、私にはいい思い出ばかりだった。でも、悪意なんて欠片もない、ご新造さんや煎餅屋の老夫婦や、たくさんの人たちの優しさで決まった話だったから。反対なんてできるはずがなかったんです。

 桜が八分咲きになったらあんたに伝えよう。満開になったら伝えよう。そう思いながらも伝えるべき言葉は喉元に引っかかって、つばを飲み込むたびにくじけてばかりでした。結局、話ができたのは桜が散ってから。あの日も桜の花びらが名残惜しげに、川縁をちらちらと浮かんでた。口べたなあんたは普段は私の話に耳を傾けてばかりだったけど、そのときは表情を変えて、泡飛ばさんばかりだった。相談もなしに東京へ行くのを決めた私を罵りもしたけど、やがて真顔になって、親戚のおっさんらが鬱陶しいんなら俺が蹴っ飛ばしたる。貧乏が嫌なら、俺がなんぼでも稼いだる。あんたはそう言って、私を引き止めてくれました。

 それまでずっと、私があんたを守ってばかりだった。あんたは人一倍臆病で、私は負けん気が強かったから、周りの子どもらから囃し立てられても、「長ちゃんはあたいの旦那だよ」って言い返してやった。学校の帰り道に待ち合わせようと誘ったのも私だったし、遊んだ帰りが遅くなっても私は一向怖くかった。しょうもない酔っ払いに管巻かれたときは、たてづま持ち上げて蹴りを入れて、あんたの手を引いて逃げたものだった。

 はじめてそのとき、あんたが私を守ろうとしてくれたんです。それだけで十分でした。離ればなれになってもきっと大丈夫だと思いました。あんたは私なんかよりずっと強い人だと、そのときに信じられたから。

 それに引き換え、私は自分でもびっくりするくらい弱虫だった。あんたは十七で、私は十五。子どもだったのだと思います。そのあと何度も手紙をやりとりしたけど、私は将来のことばかり書いてるのに、あんたの手紙には私が踊り屋台で道成寺を踊ったときのことや、お寺の境内で待ち合わせて田んぼ道を歩いたときのことや、思い出話ばかりが書かれていて。情が深ければ深いほど、思いは互いにすれちがってしまうような気がして、書くのも読むのももどかしくて、何度も大阪に帰りたいと涙をこぼしました。

 だから、高等学校の試験に受かったとあんたが上京してきたときは飛び上がるほど嬉しかった。東京の学校を受けるなんて一言も知らせてくれなかったのに。私を驚かせたかったのだと、上京する直前に送ってくれた手紙に書いてありました。そんな身勝手さが恨めしい気もしたけれど、会える日を心待ちにしている自分がいました。

 お互いに環境が変わってしまったから、前みたいに毎日会うのは無理だとしても、時々様子を見に行って、一言二言交わすくらいなら許されると思ってました。月に一度でも、あんたの少し後ろを歩けたらよかった。それだけでも、私は強く生きて行けると思ってた。それなのに、あんたの下宿先の蘿月の伯父様の家に挨拶に行ったときの、あのふてくされた表情といったら……。伯父様のほうが妙に気を使ってくださったほどでした。

「こないだな、仁王門の仲店のあたりで、島田に結った芸者さんと、黒絽の紋付着た男が並んで歩いてるのを見たんや。あと何年かしたら、お前の隣にも立派な紳士がおるんやろな。俺みたいな兵児帯しめた書生じゃ、お前と一緒に歩く資格もないって分かったよ」

 そう言って自嘲するあんたの姿が無性に情けなくうつって、私は私で誇りを持って芸者として生きていたから、そのときは喧嘩別れみたいに飛び出してしまったんでした。

 あんたの理解のなさに腹を立てたりもしたけれど、私はもしかしたら、華やかな世界に浸って思い上がっていたのかもしれません。それまで着たこともないようなきれいな着物を着て、吾妻下駄つっかけて、島田に結って。偉そうに煙草まで喫むようになって。それが芸者のしきたりのようなものだから、私は背伸びしてなじもうとしていたのだけれど、あんたが望んでいたのは、大阪にいたころの小娘みたいな私だったのだと、そのときようやく理解したんでした。一足先に大人の世界に足を踏み入れたという驕りが、どこかに高慢な振舞いとなってあらわれてしまったのだと思います。

 あんたの学校の成績がみるみる落ちて、家でもふさぎ込むようになって、あげく大学校を目指すのをやめて役者か芸人になると聞いたときには、私はもうどうしていいものやら、困惑しきりで思い直すようにせがむばかりでした。蘿月の伯父様は高名な俳諧師だし、あんたのお母様も常磐津のお師匠だし、きっと芸事の血はあんたにも濃く流れているのでしょうけど、だからといってせっかく受かった高等学校を途中で辞めてしまうだなんて。自分がこんなふうにあてどのない生き方だから、せめてあんたには陽の当たる道を歩いてほしかった。自分勝手もいいところかもしれないけれど、それでも私は自分のことなど棚にあげて、あんたには立派な人になってほしかった。私の歩みに合わせてなどほしくなかったんです。

 

 白鬚橋のたもとで、あんたは立ちすくんだようにじっとしてました。何かを探しているふうでした。おかしいな、とつぶやきながら。

 あんたが探しているのが思い川であることに、すぐに気づきました。白鬚橋から少し北へ進んだあたり、西方から隅田川へ注ぐ、こじんまりとした細い川です。十五分ほど歩けば泪橋があって、私たちは何度かその川沿いを連れ立って歩いたものでした。広々とした隅田川よりも、どこか頼りない思い川のほうが好きだった。苔の生えた屋根や傾いた柱、不規則に続く家並みや荒れたお寺が、私たちが生まれ育った町の雰囲気に似ていたからかもしれません。

 毎日連れ立って遊び回っていた幼少の頃を思いながら、口から出るのはお互いに繰り言ばかりでした。性根を入れかえて勉強してくれと拝む私と、お前に何が分かるんや、芸者なんぞやめてしまえと顔を背けるあんたと。どうせ座敷で媚び売ってるのやろ、ええ人でもできたんと違うんか。あんたに何が分かるんや、どれだけ私が苦労してると思ってるの……。湿っぽい川風に吹かれながら、最後はいつも喧嘩別れでした。泪橋がかつて、今生の別れの場だったなんてそのときは知らなかった。知っていたら、お互いにもっと優しくなれたかもしれないのに。

「思い川な、何年か前に埋め立てられてしもたんや。今は道の下を流れてるんやて」

 私がそう言うと、あんたはそうかとつぶやいて、何か考え込んでいました。

「音無川なんて呼ばれてたけど、とうとう何もなくなってしもたんやなぁ」

 まるで俺みたいや。そう言いながらあんたは、来た道を振り返りました。白鬚橋の欄干にひじついて、ごめんな、とつぶやいて。行き場をなくした夕汐のようでした。ここから先には行けないのだと、すぐに分かりました。ようやっとあのころのように二人で歩けたのに。あんたの隣にいられたのに。もっとゆっくり歩けば良かった。このままどこにもたどり着かず、いつまでも暮れ方が続いてほしかった。

 

 あの大雨の日に、傘もささずに千束町のあたりを一晩中歩きまわったのだと蘿月の伯父様から聞いたのは、あんたが入院して数日してからのことでした。それまで私は何も知らずに芸者稽古に精出していて、そこまであんたが思い詰めていたなんて思いもしなかった。たとえ境遇が変わったとしても、喧嘩ばかりしていても、子どものころみたく二人して手をつないで歩ける日が来ると、私はのんきに思ってたんです。その日が少しでも早く来るように、一日でも早く芸事を身につけて、独り立ちしたいと思ってたんです。

 降りしきる雨に打たれて、足もとを泥水にとられて、あんたは何を思ってさまよい歩いていたんだろう。お糸、お糸と私の名を呼びながら高熱にうなされて横たわるあんたの姿は痛々しいばかりで、とても見てはいられなかった。大阪からあんたのお母様も看病に来てて、私は顔を合わすのが申し訳ないような気がしていたたまれなかった。伯父様は私たちのことを優しい目で見ていてくれたけど、お母様からしたら私は厄介者以外の何者でもなかったでしょうから。女手ひとつであんたを育てて、立派な学士にしたいと思って遠く東京までやって、それなのにこんなことになってしまった。道を間違えたのを私のせいにしたとしても、何の申し開きもできなかったと思います。

 洋装の教科書のなかに、私の写真が挟まっていた。あんたが途中でやめた手紙には、自殺する勇気もないから病気にでもなって死ねばよいと書かれてた。伯父様からそれを聞いた時、私はもうこらえきれなくて、畳に突っ伏して泣きました。お母様が私とあんたの仲を気にして、私を近づけないようにと蘿月の伯父様に頼んでいたことを知ったのもそのときでした。どれだけ後悔したとて、もう戻れない。伯父様と二人して、ごめんなさい、すまなかったと謝り合って。一緒に三社祭に行きたかった。一緒に観音さまの市に行きたかった。あんたと一緒になりたかった。もうかなわないと分かっていても、私は未練がましく泣くばかりでした。

 冷たくなったあんたの指先は傷だらけだった。血が出るのもかまわずに、三味線の稽古に明け暮れてたと伯父様から聞きました。

 お糸ちゃんの前では恥ずかしがっていい加減に弾いてたようだけど、長吉は昔から手先が器用で、子どものくせに三味線弾かせたら大人顔負けだった。お糸ちゃんが芸者になるんなら、俺は三味線弾いて一緒に座敷に出るんやって。みんな笑って聞いてたけど、本気でそう考えてたんだろう。でも、芸の道の厳しさはあいつの母親やわしが身を持って知っている。勉強して、いい学校に入るのが幸せだと思ってたんだ。

 伯父様はそう言って、また深々と頭を下げました。半年前に、長吉から役者か芸人になりたいって聞かされたとき、わしはてっきり、勉強が嫌になって逃げ道を探しているだけだと思った。まさか死ぬことを考えるほど追いつめられてるとは思わなかった。三味線が弾けない、三味線が弾けないって苦しそうにうめいてた。子どものころみたいに自由に弾けたら、お糸ちゃんと一緒になれると思ってたんだろう。

 馬鹿なやつだと、伯父様は泣いてました。私もそう思います。本当に馬鹿だと思う。素直に気持をぶつけてくれれば、私はいつだってあんたのところに飛び込んでいったのに。でも、もっと馬鹿なのは私でした。あんたの気持に気づけなかったのだから。

「そりや何を言はしやんす、今さら兄よ妹といふに言はれぬ恋中は……」幼かったあの日、あんたの三味線でふざけて語った小稲半兵衛が、なぜだか頭から離れませんでした。どうして私も一緒に連れて行ってくれなかったのだろう。どうして一人で行ってしまったのだろう。芸者をやめた後もずうっと、私はそればかり考えていたんです。

 

 遠くで野良猫が鳴いてました。すーっと影がはしっていって、薮影に見えなくなった。若葉がさやさやと揺れていた。通りの物音が遠ざかって、あたりはみるみる静けさにつつまれていった。私たちは二人きりで、寄る辺なく立ち尽くしてました。

「ありがとうな」

「何が」

「俺のこと、見つけてくれて」

 当たり前やろ、そう言ったきり、私は胸がつまって何も言えなくなった。ずっとあんたのことを思っていたんだから、気づくに決まっているんです。いまさら会って何になるのか、きっと後悔するに決まってるのに、私はあんたと会いたかったんです。

 半月前のあの日、私は母のあとをついて、婚礼の場へと向かっていました。花嫁姿が気恥ずかしくて、嬉しさよりも切なさのほうが勝っていて、私は伏し目がちに歩いてました。そうしてふと顔を上げたとき、隅田川の土堤の、桜の木陰にたたずむあんたの姿を見つけたのです。いるはずのない、あんたの姿。桜が散るなかに溶け込んで消えてしまいそうだった。今すぐ駆け寄りたかった。すべて投げ捨てて、あんたのところに行きたかった。けれどまばたきした瞬間に、あんたの姿はどこにも見えなくなってたんです。

 何がなんだか分からないままに婚礼のあわただしさは過ぎ去って、私はあんたの影を引きずったまま、別の男に抱かれてました。愛情はあったけど、恋とは違ってた。女の歓びを感じてはいたけれど、どこかに諦念が入り混じってた。その小さな違和感があんたの影と一緒くたになって、熾火のようにくすぶっていたのです。

 あんたがあの場所で、ずっと待っているはずはないと分かってました。でも、私が会いに行けば、きっとあんたは現れてくれる。そう信じてました。散々思い悩みながら、結局私が決心したのは花の雨がやんでからでした。

「きれいやったな」

 あんたは噛み締めるように言いました。

「あんなにきれいな花嫁さん、はじめて見たよ。松園さんの、人生の花みたいやった」

 そんなん、違う。私はそれしか言えなかった。何が違うのか分からないけど、違ってる気がしたんです。あんな形で花嫁姿を見てほしかったんじゃない。誰がなんと言おうと、私はあんたと一緒になりたかったんです。

 夕陽が川面を照らし出して、あふれだした金色の光が脇道や薮や木立を飲み込んで、あたりは湖のように穏やかに、静けさをたたえていました。私たちは黙って突っ立って、その懐かしい光景に心を奪われてました。

「まぶしいなぁ」

 隅田川に背を向けたあんたはわざとらしく、光を遮るように左手を顔の前に持って行きました。私の右手は行く当てをなくして、宙ぶらりんになってました。かざした指先はすっかりきれいになっていたけれど、人差し指の爪の先には今も変わらず溝が残ってて、私はまた、泣きたくなりました。

「俺な、ずっと心残りやったんや。ごめんなさいもありがとうも言えないまま、死んでしもた。お前を苦しめたままいなくなってしもた」

 違う、違う、違う。私は聞き分けのない子どもみたいに首を横に振って、涙目であんたを見てた。なんで謝ったりするんや。なんでお礼なんか言うんや。そんな言葉、私は望んでないのに。

「橋場の渡しもなくなって、思い川も泪橋もなくなって。寂しい気もするけど、なんだかスッとしたわ。変わって行くこの街に、しがみついてたらあかんなって」

 そんなことを言わないで、私も一緒に連れて行ってくれと、私は夢中で叫んでました。消えてしまわないように、両手であんたの袖をつかまえて。

「最後まで自分勝手ですまんな。またお前のこと苦しめてしもた」

 幸せにな。その声が聞こえた瞬間、私はひとりでその場にたたずんでました。

 どれだけあたりを見回しても、もうあんたの姿は見つからなかった。こうなることは分かっていたけれど、悲しくて悲しくて、その場にくずおれてしまいそうだった。どうして好きだと言ってくれなかったのだろう。どうして愛してると言ってくれなかったのだろう。言わないことが優しさなのかもしれないけれど、そのたった一言で、私はこれからもあんたのことを思って生きていけたのに。

 思い川があったあたりまでとぼとぼと歩くと、夕陽が道を照らして、金色の光がさらさらと流れているようでした。昔と変わらぬ町並みが、その両脇に広がっていました。吾妻下駄の音が聞こえてくるようでした。肩を落として歩くあんたの、寂しそうな後ろ姿が目にうつるようでした。

 ふと目をうつすと、夕陽に吸い込まれていくように、小さな光がゆらゆら浮かんでいました。まだ四月半ばだというのに、一匹の蛍が光を灯してたんです。それは涙が見せた幻だったかもしれません。思い出をたどるように流れていく蛍を追いかけなければと思ったけれど、「幸せにな」というあんたの声を思い出して、私はじっとそこに立ち止まって、蛍がいなくなるのを見つめていたのでした。